シニア情報局

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精神科医目線で語る日本のおかしなところ

 

社説:障害者権利条約 重い国連勧告、改善必要

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日本が2014年に締結した障害者権利条約を巡り、国連が初めて改善勧告を出した。障害児を分離した「特別支援教育」の中止を要請したほか、精神科の「強制入院」を可能にしている法令の廃止を求めている。

 

人権意識と精神科の問題、分離教育、教育入院、カウンセリングが根付かない理由など

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00:00 OP
00:54 障害者権利条約
06:09 人権意識
12:41 今の日本

本日は、「日本の精神科臨床における人権意識の低さ、および分離教育や長期入院の問題、そしてカウンセリング臨床がなぜ日本で根付かないか」などを、益田裕介の独断と偏見を交えながらざっくばらんに語ります。

■障害者権利条約

2022年9月9日、「障害者権利条約」を日本が国連と結んでから8年後の今年、国連より初審査を受けたというニュースが出ていました。
国連に障害者に関する日本の状況を審査してもらったんです。

そうすると、国連側から2つの点を勧告されました。

・分離教育
一つ目は分離教育に関することです。
知的障害や発達障害の子どもたちを一般の子たちと分けて教育している、それは問題なんじゃないか、それは人権の侵害なんじゃないか、という指摘がありました。

特別支援学級や、通常学級に通いながら「通級」に通うという形もやっているのですが、特にこの「特別支援学級」です。
分けているのが多すぎると、それが良くない、と国連側が思ったようです。

僕も福祉に関することは専門外ですし、ニュースを読んだり今回のことを調べた中で話をするので、もしかしたら理解が違うかもしれません。
その場合はすぐに動画は削除したり訂正しようと思っていますが、一つはこういう指摘があったようです。

・長期入院
もう一つは精神科の入院が長期化しているということです。
日本は先進国の中でも、世界中を見ても長期入院が多いのです。精神科の患者さんの。
病床数も多いです。

措置入院、いわゆる強制入院の日数も長すぎると国連から指摘を受けました。
入院が長くて地域移行が進んでいないことも指摘を受けたようです。

長期入院も分離教育もそうですが、日本側は日本側で頑張ってやっているし、特別支援学級が増えてきてはいますが、通級を増やすことで、インクルージョン教育、うまく通常学級でやれる子どもを増やすことも一応やっています。

長期入院に関しても日本側も問題視していて、できるだけ病床を減らそうとしているが減らせない、という実情があります。
これは僕も精神科病院にいたからわかるのですが、長期入院している統合失調症の方が高齢化して、なかなか一人では暮らせない、そういう社会システム的な問題もあります。

教育の問題もそうです。
日本ならではの社会システム上の問題があるのですが、ネットの声を見ていると、社会システムも踏まえて、「いやいや、そうは言っても一緒にいる方がかわいそうなんじゃないか」「混ざると余計にトラブルが増えて双方辛いんじゃないか」そういう声もありました。

逆に、「自分は欧米に住んでいたことがありますが、障害のある子が怒られたりして、障害があるにも関わらずみんなと同じにしなきゃいけないから、一緒に混ぜられたことによって差別されたり、偏見があったり怒られたりして、余計にかわいそうだった」そういうコメントもありました。

なるほどな、という感じがしました。
どちらが良いのかというと、一つの価値観の問題でもあるので何とも言えないのですが、分けるとやはり多様性を認めていかない、多様性とは逆の動きになってしまいます。

多様性があるとわかった上で分けていると言うかもしれませんが、やはり人間というのはそんなに賢くない、愚かな生き物ですから、目に見えないとわからなくなり、目に見えないと差別してしまいます。
目に見えないと忘れてしまうんです。

分けてしまって生活すると、どんどん多様性を認めなくなってしまう。
ある意味、臭いものには蓋をしてしまう、ということになりかねないわけです。

そう思うからこそ国連側では、分離は良くないよという形で、もっとみんなと一緒に暮らせるような社会を作るようにしてください、社会システムをそういう風にしてください、という指摘があったということです。

ただ、一緒の方がかわいそうじゃないか、そっちの方が思いやりがないんじゃないか、という日本人らしい意見もあり、僕も日本人ですからわからなくはないです。

■人権意識

そもそも人権に対する考え方が違うんだと思います。
日本人というのは、僕もそうだからわかるのですが、人権意識が乏しいです。

僕は元々自衛隊出身ですし、どちらかというとかなりガチガチの右翼側の人間なんです、元々は。
元々というか、価値観としても右翼っぽい方ですが、そうは言っても日本人は本当に人権意識が低いなとどうしても思ってしまいます。

人権というのは何かというと、みんなが平等に幸せに生きる権利、人間らしく扱われる権利、幸せに生きる権利と答えることが多いと思います。
だけど正確に言うと、ちょっと違うなと思います。
結論はそうなんだけれども、そもそも経緯が違います。

そもそも人権をどうやって獲得したかというと、国家対人民だったのです。
フランス革命とかそうじゃないですか。
国家が国民を苦しめていたわけです、税金を取ったりして。

それに対して、もう王様の言うことを聞いていられんぞ、国家の言うことを聞いてられんぞと言って、人民が立ち上がって戦いました。
もうめちゃくちゃ人が死んだのです。
その上で人権というのがどんどん皆で共有されて、理解されました。

つまり、国家と人民が戦ったときに、「自分たちは義務を果たしているでしょう」と。
納税もしているし、戦争で戦っているんだよ、と。
だからその分、俺たちに権利をくれ、国家の運営を一緒にやらせてくれ、言われるがままは嫌だと言ったということなんです。

「権利」と「義務・責任」というのは同じです。
両天秤にあるということです。
権利をくれ、その代わりに義務や責任を果たすから、これが人権意識なのです、そもそもの話が。

だから選挙権を持っていたのは最初は男の人だけでした。
税金をいくら以上払っている男性のみだったんです。
お金持ちしかそもそも人民として認められなかった、国家運営に関与できなかったのが、だんだん広がっていきました。

いやいや、税金は貴族ほど払ってないかもしれない、お金持ちの人ほど払っていないかもしれないけれど、前線で戦ったのは俺たちじゃないか、俺たちにも権利を認めろと。

でも前線に行くだけが戦争じゃないですよね。
前線に行くのがだけが戦争じゃなくて、裏で支えている女性たちだって戦争を戦っているじゃないか、一緒に支えているじゃないか、お金を稼いで税金を納められるのは、女性が当時は子育てや家庭を守っているからでしょ、ということで参政権が広がっていった。

それと並行して、人間というのは何かという思想も変わってきて、人種差別は良くないよ、という風に広がっていきました。
その中で、LGBTQはどうなのか、今だとニューロダイバーシティ発達障害や脳の質の差、特性の差はあるけれど同じでしょう、僕らのことを理解してほしい、僕らの権利というか価値を認めてほしい、そういう風に広がっているというわけです。
精神疾患や障害者も同じ人間だし、仲間だから認めて欲しい、ということになったのです。

もう一個ベースにあるのは、ノブレス・オブリージュ(?)です。
才能がある人、能力がある人、スーパーパワーを持っている人はそれだけの責任を伴うということです。
これは欧米的な価値観ですね。

皆が皆、同じように戦争に参加する、同じように税金を納めればいい、というわけではなくて、生まれながらにパワーの差があり、パワーがある人はより大きな責任を伴うし、自分なりの責任、自分なりの義務や責任を果たせばいい、という考え方があります。

映画を見ると、スーパーマンがグワッと来て大きな敵と戦っているときに市民も戦うじゃないですか。
傷ついた戦士が子どもに対して「僕は僕の戦いをするから、君たちも君たちの戦いをしてほしい」みたいな言い方をするじゃないですか。

あれは偽善的でも、格好いいセリフを言いたいわけでもなく、単純にそういうベースの価値観があるのです。

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雑談:精神科医目線で語る日本のおかしなところ

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00:00 OP
02:52 人権意識
06:44 思いやりと「甘え」
10:09 忖度
12:21 過労死、切腹、恥と世間
15:04 萌え→推し

本日は「日本のおかしなところ」というテーマでお話しします。

この動画は前回の動画のちょっとした続きになります。
前回の動画は見てもらわなくても内容は繋がるのですが、もし興味がある方は前回の動画、国連から日本の分離教育、特別支援教育のあり方や、長期入院、措置入院のあり方を指摘された、というニュースに基づく話を見てもらったらと思います。

今回はその動画の半分続きみたいな感じです。
日本のおかしなところ、というテーマで色々思うところを喋ります。

この動画の内容を踏まえて、皆さんからコメントをもらいたいと思います。
コメントを見ていろいろ議論をし、これってどうなのかなということを深めていきたいと思います。

どうしてこの動画が大事だと思ったかというと、カウンセリング、いわゆる精神療法をしていて、日本のおかしなところというのが結構ハードルになるのです。障害になります。
だから困るのです。

僕は臨床していて、好きだからというのもありますが、毎日勉強をしています。
海外の症例や海外の技法、偉い先生のインタビューなどできるだけ読もうとしているし、できるだけ英語で情報を得ようとしてます。
今はDeepL(翻訳ツール)もありますから結構簡単に取れるので、できるだけそういう風にしようと思っています。

ですが、そのままやろうとすると、患者さんとバッティングします。
それはどうしてかというと、患者さんたちが思っている常識と僕が考えている常識、こうあった方が良いだろうという理想が結構ずれているからです。

欧米的な先生たちの美しさ、素晴らしさを目の当たりにし、そこでの患者さんとのやりとりを僕が吸収して日本にそのまま持ってこようとすると、絶対ぶつかります。
ぶつかる原因が何なのか日々考えたりもしているのですが、そのことをお話しします。

■人権意識

まず人権意識です。人権意識は違うなと思います。
前回から引き続き、人権意識が違うということです。

人権とは何かというと、皆さんは「誰もが平等で幸せに生きる権利がある」「平等に教育を受ける権利があって病気を治療してもらう権利がある」ということを言うと思います。
そうといえばそうだし、結論はそれでいいんです。
ですが、そもそも人権はどうして生まれたのかということはあまりご存じない方が多いと思います。

人権とは何かと言ったら、簡単に言えばフランス革命を中心とした「国家 対 人民」の争いです。
だんだん人間が技術を高めていって、市民階級が豊かになっていった。
そういう中で戦争には行くし税金を納めているのに「何で国家の言う通りにしなければいけないんだ」と思うわけです。
国家の言う通りにして、王様の言う通りにしていたら損じゃないか、みたいな話になるわけです。
それで争って、人民が勝利を勝ち取りました。

我々は義務と責任を果たす。
戦いにも行くし税金も納める。
だから国家運営に対して意見を言わせろ、ということです。権利ですね。
人権とは何かというと、この「権利」と「義務」なのです。

だから最初は男の人だけでした。
戦争に行く、税金を納めている、働いているのが男の人だけだったんです。
最初はお金持ちの一部だけだったのが、「いやいや、前線で戦ってたのは俺たちだけやんけ」という形で男性にも広がっていき、そして「戦ったり税金を納めるとか、それらはみんなの下支えがあるからじゃないか」という形で女性にも広がっていく。

それに伴い人種差別の問題も問われるようになっていくし、障害者のあり方、LGBTQのあり方も問われるようになって、だんだん人間の平等など皆さんが知っている人権意識に発展していきます。
けれども前提はそもそも国家対人民、つまり権利と義務なのです。

この権利の部分だけは知っているけれど、義務と責任がセットなんだという感覚は持ちにくい。
妙に隠蔽されているというか、知らされてない、教わってないことが多いかと思います。

それは陰謀論的に言うと、僕はそれを信じているわけではないですが、やはり愛国心を育てる教育がアンタッチャブルな感じになっている。
それは敗戦国だからなんじゃないの? アメリカの属国だからじゃないの? と言われたりしますが、色々な要素が絡むと思います。
日本の文化やカルチャーに合わないというのもあると思います。
でもやはり義務と責任というのが本当はセットで、そこはなかなか思わないみたいです。

何か良いことがあると、反面、義務や責任が生じるんだ、と反射神経的に思うのが欧米のカルチャーなのかなと僕は個人的に思っていますが、そういう感覚がないのです。

してもらったら何か返さなければいけない。
すぐ返さなければいけない。
それは自己肯定感が低いというのではなく、単純にこの義務と責任というのがなかなかイメージしにくいのかなといつも思ってます。

■思いやりと「甘え」

日本人的なあり方というのは、やはり「思いやり」と「甘え」の精神なのです。

国家運営のあり方も長らく封建制が続きましたし、思いやりと甘えの関係によって成立している感じがします。

アジアのカルチャーというのがそもそもそうだと言われたらそうなんですが、君主関係というか、互いの愛情関係によって成立するのだというような思いがあるようです。
国家対人民みたいな血なまぐさいものではなく、上の人が部下を思い、部下は上司を思い、君主は人民を思い、人民は君主のことを尊敬して成り立つというようなカルチャーがある。
それは母子関係の拡大なんじゃないか、という風に考えられたりしているようです。

これを『甘えの構造』と言ったりするのですが、「甘え」という言葉自体が日本語的な言葉で、英語に訳しにくいです。

「甘え」というのはお母さんに甘えるという感じもあるし、抱きしめてもらうとか、母乳を飲むというか、その甘さというか舌に残る甘い感じ、子どもが好むような感じ、そういうことなのです。ビターじゃないというか。

それが大人になっても使われている、公然の言葉としてこんなに普及しているのが日本らしさであり、日本の特殊さ、異常さ、奇異さなんじゃないか、ということを土井健郎先生が仰ったということです。

言語は社会的な無意識を反映させるという考えがあります。
つまり、言語や風習、こういうものを「構造」と言いますが、人間は構造によって支配されているというのが構造主義という哲学の考えで、今でもなお有効な哲学的な概念です。

まあ、それはそうですよね。
僕らは知らないうちに常識に縛られており、知らないうちに言語や風習に縛られています。

なぜ僕らは理由もなくご飯が好きなんですか?
理由もなく、納豆が好きなんですか?
それは昔から食べているからだ、と言ったらそれまでで、そういう支配構造にあるわけです。

我々は普段使っている言語によって無意識的に支配されているし、この「甘え」という言葉があると、「甘ったれるな」や「甘えてもいいんだよ」など、こういう言葉によって支配されているということです。

これと対をなす言葉というと、いわゆる生物学的な無意識というか、脳が持っている特性が故のバイアスだったり、本能とか言ったりします。
脳が持っている世界中で見られるようなバイアス、例えば白黒思考、疲れていると被害的になってしまうというバイアス、物事を単純化しやすい単純化本能、敵味方を分けやすい等々、色々な脳のバイアスがあります。
そういうものもあれば、言語によって縛られているバイアスもあるということです。

■忖度

日本語特有のバイアスとは何かと思うと、これも結構珍しいなと思うのは「忖度」です。

上司が「これをしろ」と言っているわけではないのに、部下が上司の気持ちを推し量って悪いことをする、気を利かせて何かをするということがあります。

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