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イイ子なのに不幸。マゾヒステクックな反抗

イイ子なのに不幸。マゾヒステクックな反抗

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00:00 OP
01:07 症例
03:03 どんな人なのか?
05:11 何のために通院している?
07:06 人生は失敗することもある

今日は「イイ子なのに不幸、マゾヒスティックな反抗」というテーマでお話します。

最近よくいるタイプなのですが、会社でもちゃんと働き、人間関係も悪くなく、家族の仲もいいが何かつまらない。土日は寝てばかりで自分の人生を生きていない。やりたいこともなく、「私って生きている価値があるんでしょうか?」みたいな人です。
こういう相談を受けます。

今40代の独身や40代で孤独という人が多いです。
だいたいこういう話が多いのですが、そういう話をしようかなと思います。

■症例

これは架空の症例です。

一人っ子で両親は愛情深いが厳しい人。
厳しい躾があり、親の言うことをちゃんと聞いていて、反抗期はあったがそんなに激しくない。
親とは今でも仲が良いから休みの日は家族旅行に行く。
それで今30代後半~40代の男性または女性という感じです。

仕事が多いと困っているということです。
ちゃんとやるから割り振られる仕事もどんどん増えていく。
出世もしてしまう。

「私は能力が低いのに出世しちゃうんです」とか言って「いやいや、そんな謙遜を」と言うのですが、実際本当にバリバリできるわけではなくて、時間や努力で補っている人なのです。
要領が良くないんだけど、出世できちゃう。
上司からも可愛がられたりします。

とにかくプライベートがない。
全部仕事に割り当てるので上司も扱いやすいし、反抗もしない。手玉に取れるので扱いやすいから出世してしまうという感じです。

休みがあっても、もう友達も結婚していたりで遊び相手がいなくて、土日は寝るだけ、もしくは勉強だけしているということです。
こういう人は多いです。

何か趣味とかないのと聞くと「いや、やりたいことないんですよ」とか言っているパターンです。
それで疲れた、落ち込んだ、うつ、頭痛がする、いろいろな理由で精神科を受診するという感じのパターンです。結構います。

■どんな人なのか?

こういう人はどういう人なのかというと、主体性が欠如しています。
自分で動けばいいのに動かない。
休みの日に家族で旅行するとか、別にしてもいいけれど、家族のことばかりやっていたら恋人もできないし、自分の人生を送れないじゃないですか。
だけどなあなあで過ぎている。
デートなども、「失敗したら…」とか「愛されなかったら…」という思いがあるからできない、行動に移せないという感じです。

口では言わなくても腹の底では思っている。
何かと理由をつけてやらない。
こちら側は透けて見えているし、でも言うと傷つくし怒るだろうなと思うし、防衛線を張っています。
だから相手は言わないという感じです。

あとは他の人はずるい、と言ったりします。
「仕方ないのはわかるけど…」みたいな。
仕事を押し付けられたり、産休育休を取ってずるい、仮病を使ってデートに行っていた、そういう感じでずるいと言ったりします。
子どもが熱を出したから休んでいてずるいとか、いろいろ言ったりします。

あとは親が死んだ後どうしたらいいんだろう、と言ったりします。
独りになってしまうとか、孤独の問題とか言ったりします。

「あなたは主体性が欠如してますね」ということを言うと、何かをきっかけに怒ります。
「私はダメなんでしょうね」「私は価値がないんでしょうね」みたいなことを言って怒ってしまう。場合によっては通院が途絶えたりします。
どういうタイミングで本人にこの問題というか本人の特徴を指摘するのか、というのはとても難しいです。

本人は不安がすごくあり、後悔の念もあり、でもプライドが高く、プライドを捨てきれない。
自己受容ができなくて、場合によっては引きこもりになっているケースがあります。

■何のために通院している?

結局何のために病院に来ているかというと、親が亡くなった後の親代わりを求めて来ているのです。
親代わりになる治療者を求めに来ている。
自分の居場所を探しに病院に来ているという感じです。

患者でいることにとどまりたいというか、良くなりたいとも思っていない。
良くなりたいと口では言っているし、不安をなくしたいと言うのですが、行動に移さない、移せない。
良い患者でありたい、益田の良い患者でありたい、というパターンは結構あるかなと思います。
益田のみならず、色々なクリニックでもよくあると思います。

治療者がある意味、この人はもう40歳だから、50歳だからということで、もう今から恋人つくるとかじゃないだろうと妙に甘やかして、本人の自立を妨げることも、また結構あるケースかなと思います。
こういうのはよく見ますね。
色々な人を見ていてもあるなと思います。

結局、本人が主体的に動けなかったというのは、両親のせいと言えば両親のせいでもあるけれども、自分自身のせいでもあります。
でもそれは不安を感じやすかったからというのもあるし、「もし失敗したら…」「愛されなかったらどうしよう…」ということから動けなかったというのもあると思います。

言われたことをやっている限りは、もし失敗しても自分のせいにはならないわけで、相手のせいなので、そういうことなのです。
こういうこじらせ方もあるなと思います。

■人生は失敗することもある

結局、人生というのは失敗することだってあるわけです。
あるタイミングで挑戦しなければ、ズルズル行ってしまって間違ってしまうこともあります。

洋服を買いに行っても買った後に「あぁ、いまいちだったな」ということはあるわけだし、ご飯を食べに行って「美味しそうだな」と思って入っても、意外とイマイチだったということもあるわけです。
美味しくてもお腹の調子と合っていなかったとか、今の空腹加減と料理の量が合っていなかったなど満足いくことがなかったりします。

洋服や食べ物のことだったら良いかもしれないですが、自分の人生、例えば家を買うとか大きい買い物をするとか、仕事を選ぶとか、そういう大きな決断は「間違えないだろう」と思いたがります。人間というのは。
だけど大きな決断も間違えるときは間違えるんです。
決断が大きかろうが小さかろうが、間違えるときは間違える。

うまくいかないときはうまくいかない。
変な楽観性があるんですよ。甘いのです。
楽観的すぎる、そういう点に関しては。
それでこういう問題が続いているということもあるなと思います。

そこの部分をどう受容していくのか、後悔をどう自分で折り合いをつけていくのか、その先の人生ですね。
一回区切りをつけて、今まではあまり自分から動けなかったから損をしたけれど、ここからの人生はどう生きるのかという切り替えを考えていくということになるのかなと思います。

そういう痛みを伴う治療をしなければいけないということです。
何でなんだと恨んでいても仕方がないので、切り替えていくことになるのかなと思います。

今日は、イイ子なのに不幸、というテーマで話をしてみました。

こういう特徴をどう受容していくのかというのは色々なやり方があると思いますが、こういう問題というのは結構臨床上でよく見られますよということでした。